2012年5月31日木曜日

旅館の名前をも変えた!尾崎紅葉が「金色夜叉」を執筆した塩原温泉郷


旅館の名前をも変えた!尾崎紅葉が「金色夜叉」を執筆した塩原温泉郷

「一村十二戸、温泉は五箇所に湧きて、五軒の宿あり。
ここに清琴楼と呼べるは、南に方りて箒川の緩く廻れる磧に臨み、
附しては、水石の凛々たるを弄び、仰げば西に、富士、喜十六の翠巒と対して
清風座に満ち、ねりぎぬを垂れたる如き吉井滝あり。」
尾崎紅葉「金色夜叉」より


明治32年、ひと月余りを尾崎紅葉は塩原温泉郷にある畑下温泉の
「佐野屋旅館」に滞在し、新聞に連載されていた
「金色夜叉」続々編を執筆していたそうです。
旅館側は、紅葉の事を知らず、新聞の連載を読んだ旅館の主人が
小説に出てくる「清琴楼」が自分の宿であることに気づき、
宿の名前を「佐野屋旅館」から「清琴楼」に変えたんだそうです。
「清琴楼」本館には、今もなお「紅葉の間」として、宿泊はできませんが
当時の名残を感じる事が出来ますので是非訪れてみて下さい。

塩原温泉郷のある古町温泉では、国木田独歩が結婚をし
その喜びを「欺かざるの記」で記しています。
多くの文人に愛された塩原温泉の魅力は次回で。

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