2012年5月31日木曜日

晩年20年を湯河原温泉に居を移した山本有三


晩年20年を湯河原温泉に居を移した山本有三

「(湯が原にて)何やらん迫りくるものあり冬の山
ふゆ山ぞわが心なれきのふけふ
一枚も原稿を書かず年くるる
一生一瞬に去来すもずの声
餓鬼道か閉じたページをまためくる
今ここで死んでたまるか七日くる」
山本有三「閑居雑吟」より


湯河原温泉は古くから知られてはいましたが、長年秘湯としての見識から
客もまばらな温泉地でありましたが、昭和になり東京から近いこともあり
飛躍的に温泉地として発展し、全国区となりました。

湯河原を愛した文人は、夏目漱石や国木田独歩など数知れませんが、
有三は晩年の20年を湯河原に住まうほどこの地を愛していました。

有三の才能は多岐に渡り、地方周りの役者の経験から劇作家としての評判も高く、
小説では軍国主義を批判するなどの一面も見せていました。
そんな彼の人生観の集大成ともいわれるのが「無事の人」。
昭和48年から新聞連載として湯河原で執筆していた「濁流」は
彼の死去とともに未完となってしましました。

彼の愛した秘湯湯河原。ぜひ訪れてみて下さい。

東の横綱「草津温泉」ほんとに良いとこ一度は行きましょう!


東の横綱「草津温泉」ほんとに良いとこ一度は行きましょう!

♪草津良いとこ一度はおいで
誰もが一度は耳にしたことのあるフレーズですね。
群馬県草津町にある草津温泉は、町全体がタイムスリップしたような
情緒あふれる温泉地です。

その歴史は古く、日本武尊が発見したとも、
奈良時代の高僧行基が開いたともいわれる古湯です。
徳川吉宗をはじめ、多くの文人墨客に愛されました。
古くから名湯として知られ、江戸時代の温泉番付には
当時の最高位である大関に西の有馬温泉と並び
東の草津温泉としての記録が残っています。


草津温泉のシンボルと言えば、なんといっても「湯畑」ではないでしょうか。
白い湯けむりや硫黄の香りが立ち込め、古き良き温泉情緒を盛り上げています。
湯畑の前にある「熱の湯」では湯もみと湯もみ踊りのショーが見られます。

是非体験していただきたいのが時間湯。
湯もみされた後、湯長の号令に従って入浴する草津独特の入浴法です。

泉質は強い酸性。家庭向きではないため18か所もある共同浴場で
24時間いつでも入ることが出来ます。

温泉旅行どこに行く?と迷った時にはぜひ足を運んでみて下さい。
一度といわず、二度三度。

詩歌の歴史に偉大な足跡を刻んだ萩原朔太郎も愛した草津温泉


詩歌の歴史に偉大な足跡を刻んだ萩原朔太郎も愛した草津温泉

「その頃私は、北越地方のKといふ温泉に滞留して居た。
九月も末に近く、彼岸を過ぎた山の中では・・・少しばかりの湯治客が
静かに病を養って居るのであった。・・・私は・・・ひとりで裏山などを
散歩しながら、所在のない日々の日課をすごして居た。」
萩原朔太郎「猫町」より


詩歌の歴史に偉大な足跡を刻んだ彼の幻想的な短編小説「猫町」は
K温泉近辺を散歩の道すがら垣間見た、猫で作られた社会の話です。
このK温泉こそが、言わずと知れた草津温泉。

前橋の医師の家に生まれた朔太郎は、若くから
自由奔放の典型的なボンボンだったそうです。
その彼が青年時代足しげく通ったのが、湯治客で賑わう
草津温泉だったんだそうです。

異常ともいえる感覚の鋭さを兼ね備えた彼だからこそ
描くことのできた猫町だったのでしょう。

草津温泉にお出かけの際は、路地裏散策をお忘れなく^^

明治大正の文人たちも心ふるわせ愛してやまなかった塩原温泉郷


明治大正の文人たちも心ふるわせ愛してやまなかった塩原温泉郷

栃木県那須塩原市にある塩原温泉郷は
東北自動車道西那須野塩原インターからほど近く、
清流沿いに11の温泉が点在し「塩原十一湯」と呼ばれています。

歴史は古く、806年に発見された塩原元湯がその発祥だといわれています。
ゑびすやにあるラムネ湯と呼ばれている炭酸泉の
「梶原の湯」が塩原温泉最古の源泉なんだそうです。
明治以降の開発整備により、自然の美しい温泉地として
その名は全国区となりました。
昔ながらの湯治の出来る温泉が残っており、
当時の風情を感じる事が出来ます。


湯河原温泉郷に行った際は、まず「湯めぐり手形」の購入をお勧めします。
加盟店の入浴料が半額となる他、物産店や飲食店での割引が受けられるそうです。
観光施設などで購入できますので、ぜひ手形を持って塩原巡りをしてみて下さい。

上塩原ではスッポンが養殖されています。
温泉を利用して養殖されているスッポンは新鮮でおいしいと評判の
ご当地グルメだそうです。
また、肥沃な土地で育った高原野菜はみずみずしくて絶品。
なかでも大根がお勧めです。
お土産には手打ちそばはいかがでしょう。

文豪たちも舌鼓を打った古き良き和食を味わいに
訪れてみるのもいいかもしれません。

旅館の名前をも変えた!尾崎紅葉が「金色夜叉」を執筆した塩原温泉郷


旅館の名前をも変えた!尾崎紅葉が「金色夜叉」を執筆した塩原温泉郷

「一村十二戸、温泉は五箇所に湧きて、五軒の宿あり。
ここに清琴楼と呼べるは、南に方りて箒川の緩く廻れる磧に臨み、
附しては、水石の凛々たるを弄び、仰げば西に、富士、喜十六の翠巒と対して
清風座に満ち、ねりぎぬを垂れたる如き吉井滝あり。」
尾崎紅葉「金色夜叉」より


明治32年、ひと月余りを尾崎紅葉は塩原温泉郷にある畑下温泉の
「佐野屋旅館」に滞在し、新聞に連載されていた
「金色夜叉」続々編を執筆していたそうです。
旅館側は、紅葉の事を知らず、新聞の連載を読んだ旅館の主人が
小説に出てくる「清琴楼」が自分の宿であることに気づき、
宿の名前を「佐野屋旅館」から「清琴楼」に変えたんだそうです。
「清琴楼」本館には、今もなお「紅葉の間」として、宿泊はできませんが
当時の名残を感じる事が出来ますので是非訪れてみて下さい。

塩原温泉郷のある古町温泉では、国木田独歩が結婚をし
その喜びを「欺かざるの記」で記しています。
多くの文人に愛された塩原温泉の魅力は次回で。

花咲き乱れる中に佇む「土湯温泉」と奥土湯の秘湯「不動湯温泉」


花咲き乱れる中に佇む「土湯温泉」と奥土湯の秘湯「不動湯温泉」

福島県福島市にある土湯温泉郷には約25件の旅館があります。
春から夏にかけては花々が咲き乱れ、
秋には紅葉と四季折々の魅力を楽しむことが出来ます。
周辺には観光地も多く、観光の拠点として賑わいをみせています。


土湯温泉にはいくつかの日帰り温泉がありますが、中でも人気なのはこけし湯。
木の香りが漂う浴場からは爽やかな木々の躍動が感じられます。

周辺には見どころが多く、四季の里では農業体験が出来るほか
憩いの館では自然の恵みを堪能できます。

土湯といえばこけし。
約4000本にもおよぶこけしコレクションを見れるのは西田記念館。
これだけのこけしを一度に見れるところは他にはなく、
こけしにまつわる文献も展示しているので是非足を運んでみて下さい。
薬師如来とこけしを作り続けた推喬親王を祀る
こけし堂も人気の観光スポットです。

豊かな自然に包まれながら時を忘れ、
1泊といわず、しばらく滞在する事をお勧めします。

高村光太郎が智恵子と供に愛した土湯温泉・不動湯温泉


高村光太郎が智恵子と供に愛した土湯温泉・不動湯温泉

高村光太郎が、智恵子の母親に宛てた手紙に
「青根から土湯にまいりました。土湯で一番静かな涼しい家にいます。」
という一節があります。

また、「智恵子抄」の一節には
「わがこころはいま大風の如く君に向へりそは地の底より湧きいづる貴く
やはらかき温泉にして君が清き肌のくまぐまを残りなくひたすなり」
として、この温泉を登場させています。


「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」
という智恵子の呟きがありますが青空を背景に連なる東北の山々、
そしてその谷間を蛇行する川の流れはまさに絶景。

封建社会の反逆者となっていく光太郎は、智恵子と二人きりの生活に入り込むが
次第に智恵子は精神に変調を来していきます。
昭和8年の不動湯温泉めぐりは、回復の望みの絶えた智恵子の回復を
絶望の内にもなお祈願する光太郎の必死の旅であったに違いないでしょう。

妻を想う光太郎の気持ちを考えながら旅をするのもいいかもしれませんね。

絶景!日本海に沈む夕日を見ながら温泉を楽しめる湯野浜温泉


絶景!日本海に沈む夕日を見ながら温泉を楽しめる湯野浜温泉

山形県鶴岡市にある湯野浜温泉は日本海に面した温泉で
目の前には山形県で最大の海水浴場が広がっているので温泉客はもちろん
夏は海水浴客でにぎわう人気の温泉町です。
古くは歓楽街として栄え、現在では
マリンスポーツを楽しむ若者達で賑わっています。


湯野沢温泉の見どころのひとつは、
なんといっても日本海を真っ赤に染める夕日の美しさではないでしょうか。
沈みゆく夕陽を眺めながらの海岸散策、そして宿に帰ってゆっくり湯につかる。
きっとこの旅を忘れないものとさせてくれるでしょう。

この町は食べ物も絶品です。
湯上りのカニやエビをはじめとする新鮮な魚介類をメインとした豪華な食事。
その土地ならではの食事に舌鼓を打ちましょう。

近隣には藤沢周平の「義民が駆ける」にも登場する大督寺や
竜神を祀る善宝寺などの寺院散策も楽しめます。
大督寺の住職が学校を設立し、生徒に給食を与えたことから
学校給食がはじまった発祥の地だという事を知っていましたか。

鶴岡の特産と言えばだだちゃ豆。江戸時代からの品種で全国的に人気があります。
ぜひとも食してみて下さい。
お土産はいづめこ人形。なんともかわいらしい民芸品です。

「蝉しぐれ」で湯野浜温泉を青年の苦悩と恋の物語の舞台に選んだ藤沢周平


「蝉しぐれ」で湯野浜温泉を青年の苦悩と恋の物語の舞台に選んだ藤沢周平

「衰浦は小さな港を持つ漁師村だが、それよりも村はずれにある十軒ほどの
湯宿で知られている村である。波がくだける磯とその先の長い砂浜、松林、
そして海から上げたばかりの魚の評判がよく、衰浦の湯宿はむかしから
家中の家族の者が湯治に訪れる場所だった。」
藤沢周平「蝉しぐれ」より


山形県にある湯野浜温泉は、その字が語るように海辺に面した温泉地です。
出羽富士とも呼ばれる鳥海山の美麗さと夕日、日本海の波音と松風の
絶え間ない海辺の温泉地として人気があります。
その歴史は古く、平安時代に海辺で亀が温浴しているのを
発見したことに始まるともいわれています。
その名残か、「亀の湯」とも称されることがあるそうです。

藤沢周平は、小説に山形県を登場させることが多く、
夫人をがんで亡くしてから執筆した「蝉しぐれ」や「たそがれ清兵衛」には
海坂藩という小藩(現在の鶴岡あたり)が舞台となっています。

豊かな自然が息づき、日本海の海岸近くまで山々が迫る風光明媚な環境は
登場人物の心情を描写する舞台として重要な役割を果たしています。

主人公の目線に立って、皆さんもぜひ読んでみて下さい。

2012年5月30日水曜日

俗化しないひなびた風情が多くの文豪に愛された秋の宮温泉郷


俗化しないひなびた風情が多くの文豪に愛された秋の宮温泉郷

秋田県湯沢市にある秋の宮温泉郷は、水と花の彩る郷として
都会の喧騒から逃れたい人々に古くから愛されています。
以前にご紹介した武者小路実篤をはじめ、「警察日記」の著者、
伊藤永之助や、多くの画家などにも愛される所以が
此処にあるのではないでしょうか。


役内川に沿って12件の温泉宿が点在し、「十二ひとえめぐり」という
湯めぐり優待を利用すると宿泊以外の温泉がお得に楽しめます。

湯めぐりのひとつにぜひ加えていただきたい川原の足湯っこ。
文字通り足湯なのだが、川原のいろいろな所に温泉が湧いていて楽しむことが出来る。
しかし、源泉の温度が非常に高いので注意が必要!

秋の宮は別名を花の宮と呼ばれている事をご存知ですか。
花が豊富であることがその所以ですが、サツキの花盛りの季節は格別。
花と野草と温泉をめぐる自分なりのプランを作る楽しみを味わわせてくれます。

お土産には豆富カステラ。
雪国ならではの自然食品として当地では古くから親しまれているそうです。
川魚と山菜のご賞味はくれぐれもお忘れなく^^

武者小路実篤が戦時中、執筆に励んだ秋の宮温泉郷


武者小路実篤が戦時中、執筆に励んだ秋の宮温泉郷

「秋田へ疎開したのは、前年旭谷君に秋田に案内され、感じがよかったのと
稲住の経営者の押切君の厚意に甘へたからである。
稲住温泉は山形から秋田に入って二つ目の駅の横堀から五里程山の中に入った
処にある温泉で、宿屋が一軒あるだけの山中の温泉場である。」
武者小路実篤「稲住日記」より


秋の宮温泉郷は、秋田県最南の湯沢市にある県内最古の温泉です。
東を奥羽山脈、西を出羽山脈に囲まれた情緒あふれる温泉地です。
温泉郷の内2枚看板ともいえるのが鷹の湯温泉と、
稲住日記にも登場する稲住温泉です。

稲住温泉は、小杉放庵、石井鶴三、中川一政などの画家を中心に
多くの文人が滞在する宿として栄えたんだそうです。
しかしその名を世に知らしめたのが、武者小路実篤。
白樺派の支柱ともいえる彼が「稲住日記」を公刊すると
秋の宮温泉郷は一気に全国区になりました。

武者小路自身が戦争中の日々を執筆に励みながら悠然と過ごす様が
在りし日の実篤を思い浮かばせます。
今でも宿には、実篤の書等が残されているとの事ですので
是非訪れてみてはいかがでしょうか。

良き古さと、近代の融合!わんこそば発祥の地「花巻温泉郷」


良き古さと、近代の融合!わんこそば発祥の地「花巻温泉郷」

岩手県花巻市にある花巻温泉郷には12の温泉があり、
そのうちの8つが豊沢川のほとりにあります。
湯治場的な雰囲気のある宿から
最新のリゾート設備を備えたホテルまであり、
長年に渡り老若男女に愛されています。
約500年前に1匹の白い猿が、木の根元から湧き出る泉で
手足の傷を治していたことから発見されたといわれる
鉛温泉(白猿の湯)などが有名です。

露天風呂に家族風呂はもちろん、立ったまま入る深い風呂など
多種多様の風呂があり、陸奥の名湯を存分に
堪能することが出来ます。


花巻温泉と言えば宮沢賢治を思い浮かべる方も多いんじゃないでしょうか。
彼の作品には様々な形でこの温泉が
情緒あふれる描写で表現されています。
宮沢賢治記念館もぜひ足を運びたいものです。
また、この花巻温泉の開発には賢治の父が携わっていたそうです。

お土産はやっぱりわんこそば。
現地でいただくに越したことはないのですが、
みなさんに喜ばれるお土産の一つです。
また、金婚漬けといって花巻地方に古くから伝わる漬けものです。
古くなればなるほど味がでておいしいと評判の一品です。


猿が見つけた花巻温泉。そこを愛したのは宮沢賢治だけではないんです。

「湯は湯宿のすぐうらを流れている霧生川の、もとは川底であったという。
自然の岩だたみがそのまま残されていて、透き通った湯がこんこんと
湧き出していた。佐喜枝のほかには誰もいない。吹雪の捻りと、霧生川の
せせらぎとが聞こえてくるばかりであった。」
田宮虎彦「銀心中」より


花巻というと、誰もが思い浮かべるのが宮沢賢治。
言わずと知れた文豪ですが、今回は田宮虎彦をご紹介します。
彼は戦時下の重圧と結核に耐えながら執筆を続けた執念の人です。
名作の誉れ高い「落城」と聞けば、思い出す人も多いのではないでしょうか。

文頭に取り上げた「銀心中」は彼が43歳の作品。
「銀」とは?
これは鉛温泉を表しているようです。
主人公は、夫の甥に恋をし、花巻まで追いかけます。
しかし交際を断られ失望ののちに剃刀で自殺。
白く舞う雪に剃刀の銀。
鉛温泉を銀温泉と置き換えることにより、
主人公の底光りするひたむきな人生を描いた、
田宮の力量に感心させられる作品になっています。

花巻温泉の魅力についてはまた次回。

大自然に抱かれて時間を忘れさせてくれる仙人の町ニセコ温泉郷


大自然に抱かれて時間を忘れさせてくれる仙人の町ニセコ温泉郷

通称蝦夷富士とも呼ばれる「羊蹄山」とニセコ連峰に囲まれた
ニセコ温泉郷には個性豊かな温泉が点在しています。
一カ所の温泉地としては珍しく、泉質や効能も多岐に渡り、
パラグライダーやラフティング、
変わったところではホーストレッキングといって
馬に乗って散策するといった貴重な体験もできます。
冬にはやっぱりスキー。
アンヌプリスキー場は、日本屈指の雪質を有しています。
ですので長期滞在でも飽きることなく楽しめる温泉郷となっています。


さかもと公園の一角に、コンコンと湧き出している
ニセコ名水の『甘露泉』には
たくさんの人がポリタンクやペットボトルを片手に
水を汲みにやってきます。
また、湿原「神仙沼」には仙人が住むと言い伝えられ、
ニセコの湖沼群のなかで群を抜いて美しく、
神秘的な沼として人気があります。

お土産にお勧めは地元の酒米100%使用の名酒ニセコ蔵人衆。
お手頃な価格でしぼりたての純米大吟醸が楽しめます。

ニセコ温泉郷を舞台に人類の起源と人間の宿命を著した有島武郎


ニセコ温泉郷を舞台に人類の起源と人間の宿命を著した有島武郎

「夫婦が行き着いたのは国道を十町も倶知安の方に来た左手の岡にある
村の共同墓地だった。そこの上からは松川農場を一面に見渡して、
ルベシベ、ニセコアンの連山も川向いの昆布岳も手に取るようだった。」
有島武郎「カインの末裔」より


白樺派の有島の名を世に知らしめた「或る女」につぐ傑作として知られる
「カインの末裔」の舞台は、有島自身が父に入手してもらった
松川農場(狩太農場)が舞台となっています。
全体としてはフィクションでありながら、
実在の農場、開拓農民の日常を取り入れるなど
有島がこの地を愛していたことが伝わる物語となっています。

有島は幼少期から成績優秀で、当時の皇太子でのちの大正天皇の
学友に選ばれてもいます。
若くして農業家を目指し、現在の北海道大学に入学。
当時同大学の教授であった新渡戸稲造は、母方の親戚なのだそうです。
彼の父親は、武郎のために広大な土地を購入し、それが現在のニセコなのだそうです。

蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山や、有島武郎記念館など、文学好きにはたまらない
情緒あふれる温泉郷です。

ニセコ温泉の見どころについては、また次回に。

摩周湖と屈斜路湖に挟まれた情緒あふれる川湯温泉


摩周湖と屈斜路湖に挟まれた情緒あふれる川湯温泉

摩周湖と屈斜路湖に挟まれた情緒あふれる川湯温泉は、針葉樹林に囲まれ
硫黄山の噴煙を仰ぐ道東屈指の温泉地です。


日本でも珍しい『源泉100%かけ流し宣言』をしている温泉街として有名で、
手軽に利用できる大きな足湯などがあります。
温泉だけでなく硫黄山へ散歩や、満天の星空観察などもお楽しめるそうです。

硫黄山の名の通り、温泉街のいたるところから良質の温泉が湧き出し、
湧き湯は川となり屈斜路湖へと流れつきます。
温泉街には硫黄の香りが漂い、浴衣姿の温泉客が闊歩するなど
古き良き温泉町がここには広がっています。

屈斜路湖畔には、めずらしい「砂湯温泉」があります。
砂の中に体を預け温もるのではなく、湖畔の砂を掘ると湯が湧き出てくるので
自家製の天然温泉を楽しむことが出来るのです。

温泉以外にも、屈斜路湖に突き出た和琴半島の散策や、
少年時代を川湯で過ごした大横綱、大鵬の記念館やエコノミーミュージアムなど
様々に川湯のよさを楽しめるのではないでしょうか。
お土産はやっぱり木彫りの熊やフクロウ。
また、根室から直送される海鮮に舌づつみを打つのも楽しみのひとつです。

原田康子が舞台のクライマックスに選んだ道東屈指の名湯「川湯温泉」


原田康子が小説のクライマックスに選んだ道東屈指の名湯「川湯温泉」

「彼らにわかれると、わたしはゆっくり温泉町の通りを歩きだした。
日射しの強くなりかけた火山灰質の通りに、
硫黄の噎せるような濃い匂いがただよい、修学旅行の少女たちが
白い花片のように群れていた。   ・・・
・・・わたしはまっすぐ市街のはずれにあるホテルに行った。」
原田康子「晩歌」の一節です。

小説「晩歌」は昭和31年当時、年間70万部の大ベストセラーとなりました。
その舞台の大半は当時泥炭の悪路に水産加工市場から漂う
釧路の港町が舞台となっているが、重要なクライマックスシーンを
川湯温泉にたどり着く主人公で描いています。
この小説は映画化されるほど影響力がありました。


原田康子が描く川湯温泉はK湯温泉と称され、「サビタの記憶」でも登場します。
「私がK湯温泉でひと夏を保養したのは、女学生になったばかりの年である。」
と書き出し、少女から女性へと変貌していく様がみずみずしく描かれています。

ぜひ想いを馳せながら、小説をご覧になってはいかがでしょうか。
次回は川湯温泉の魅力をご紹介いたします。

2012年5月29日火曜日

癒しの元祖!阿寒湖温泉といえばやっぱり○○○^^みんなで飼いましょう!


阿寒湖温泉といえばやっぱり○○○^^みんなで飼いましょう!

北海道釧路市にある阿寒湖温泉はマリモで有名な阿寒湖の畔にある温泉街です。

大自然に包まれた環境にある稀有な存在の大温泉地として全国的に有名です。
美しい阿寒湖と富士山にも似た雄阿寒岳に見守られた自然環境が最高です。
旅行には欠かせない土産物屋も多く、遊覧船も随時発着しており、
一度は訪れてみたい魅力的な温泉地です。


雄阿寒岳と雌阿寒岳からなる阿寒岳は、日本百名山のひとつであり
登山に挑戦するのもいいかも知れません。
湖では夏はフライフィッシング、冬はワカサギ釣りと
釣り好きにはたまらないポイントでもあります。
阿寒湖温泉街の魅力はアウトドアばかりでなく、温泉街の一角にはなんと
アイヌコタンというアイヌ民族の集落があるんだそうです。
そこではアイヌの民芸品店が軒を連ね、旅人の目を楽しませています。
まや、アイヌ古式舞踊や伝統楽器での演奏など、
そこにしかない日本文化と触れ合う事が出来ます。

阿寒湖最古といわれるまりも湯は唯一の共同湯として地元のひとはもちろん、
旅行客に長く親しまれています。
また、弁慶がこの地まで逃げてきたとの言い伝えから名付けられた弁慶の足湯。
また、全国的にも珍しい手湯もいくつかあるそうです。

大規模で味わい深い温泉旅館が軒を連ねる阿寒湖温泉。
一度訪れてみては。

阿寒湖温泉を切なく愛した渡辺淳一


阿寒湖温泉を切なく愛した渡辺淳一

「阿寒で二人が泊ったのは湖畔から二キロ手前の雄阿寒ホテルであった。
そこは雄阿寒岳の登り口に近く、後に阿寒川の清流を控えていたが、
いまは一面に白い雪で覆われていた。  ・・・
・・ホテルと名付けてはいるが、山の中の温泉旅館といった感じで・・・」
渡辺淳一「阿寒に果つ」の一節です。


阿寒湖温泉と渡辺を繋げていたのは、初恋「純子」の自殺。
「俊一少年」という作品のモデルは渡辺自身とされていますが、
この中に登場する「時任純子」は彼の高校時代の
同級生で初恋の相手なんだそうです。
切ない想いの詰まった阿寒湖温泉。
舞台となった雄阿寒ホテルは現在はなく、
その跡地には儚く熱い源泉が、当時と変わらず湧き出ているんだそうです。

阿寒湖と言えばマリモの生息地として有名ですよね。
その湖の南側湖畔に接するあたりに温泉街が広がっています。
おおよそ150年もの歴史があり、古くはアイヌの人々に愛されていたんだそうです。

この温泉地の魅力は、なんといっても雄大な阿寒湖の自然。
遊覧船もあり他では見られない独特の自然美を楽しめます。
夏にはフライフィッシング、冬には湖面に穴をあけワカサギ釣りが楽しめるので
四季を問わずいってみたい温泉地ですね。

文豪の愛した阿寒湖温泉地のご紹介は次回

2012年5月11日金曜日

あの名作はここで生まれた!文豪たちが愛した温泉旅館(東日本編)

日本人が温泉を楽しみだしたのは縄文時代まで遡ります。
起源は病気治療のためと言われています。
「湯治」を習慣的に行っていたんだそうです。

時は流れ明治9年、学術的に湯治場の発展に大きく貢献したのが
現在の東京大学医学部の教師として招かれたドイツ人医師ベルツです。
ベルツは草津温泉を訪れ、温泉の成分を分析し、
民衆に正しい入浴法を指導しました。
「草津には優れた温泉以外に、最良の山の空気と理想的な飲料水がある。
もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、
チェコにあるカルロヴィ・ヴァリ(温泉地)よりも賑わうことだろう」
と草津を称賛し、日本の草津を世界に紹介したんだそうです。

1900年代半ば、特需景気で日本経済が一気に潤うと、
会社の慰安旅行等で1泊2食付の宴会形団体旅行によって温泉が熱い注目を浴びました。海外旅行ブームで温泉人気は一旦、下火になったりもしましたが
1989年、当時の竹下首相が全国の3300の市町村に1億円を交付した
「ふるさと創生事業」がきっかけで、この交付金を使って
全国300近くの市町村が温泉掘削に挑戦したともいわれ、
温泉利用者の年間延べ人数が1億2000万人を突破するほどまでになっています。


体や心の疲れをいやすため、温泉に出かけるという人が多いのではないでしょうか。
温泉とはどんなお湯のことかご存知ですか?
地下からの湧水で、医学的見地から治癒成分を含んだ水のことを「鉱泉」といいます。
そのうち、暖かいものを温泉と称すのだそうです。

日本にはいくつの温泉地があると思いますか?
なんと、届出が出されているだけで3157か所の温泉地と28154か所の源泉、
15024か所の宿泊施設があるんだそうです。


明治の文豪、志賀直哉の『城の崎にて』をご存知ですか?
兵庫県北東部にあるの城崎温泉が舞台となっています。
このように、日本文学の作品には多くの温泉地が書かれています。
有名な『坊ちゃん』。言わずと知れた夏目漱石の著書ですが
ここでも道後温泉と温泉地が舞台です。
道後温泉は漱石だけでなく、多くの文豪に愛されてきました。
近代俳句の父といわれた正岡子規をはじめ、菊池寛、
与謝野晶子など、きりがありません。

なぜ文豪たちは温泉地を好むのでしょう。
原稿を書くのに欠かせない静かな環境を求めて執筆の場として、
小説舞台として、温泉町のひなびた感を選び、
さらには現代人にも通ずる「湯治療養」のために
温泉を好んだのではないでしょうか。

今回は、日本全国文豪たちが愛した温泉地をピックアップし
ご紹介していきたいと思います。