2012年6月2日土曜日

童話作家深澤要が本業よりものめり込んだアルものがある鳴子温泉


童話作家深澤要が本業よりものめり込んだアルものがある鳴子温泉

童話作家で詩人であり版画家でもある深澤要は、
本業よりもむしろこけしの研究に勤しんでいました。
まるで巡礼者のように東北への旅を続けていました。



伝統こけしの系統はいくつかありますが、そのどれもが
湯治客で賑わった温泉地であり、供に発展していった
といっても過言ではありません。
それもそのはず、温泉客へのお土産として作られ始めたのが
こけしなんだそうです。

数百点にも及ぶ彼のコレクションは、こけし発祥の地である
鳴子へ寄贈され、これをもとに鳴子温泉には
日本こけし館が出来たんだそうです。

大型ホテル、旅館や湯治宿などいろいろなタイプの宿が存在する鳴子温泉には
足湯や手湯も存在しています。
下駄履きで温泉街を歩いて巡る「下駄も鳴子」という
キャッチフレーズを打ち出しており、
各旅館には宿泊客への貸し出し用の下駄が備えられているそうです。
鳴子温泉駅の観光案内所でも町歩き用の下駄を貸し出しているそうなので
下駄の音を楽しみながらの散策もいいかも知れません。

丹波文雄の小説「晩秋」の舞台にもなった支笏湖畔の温泉宿


丹波文雄の小説「晩秋」の舞台にもなった支笏湖畔の温泉宿

丹波文雄の小説「晩秋」には支笏湖湖畔にある温泉宿が登場します。
主人公は義父との不倫をきっかけに夫と離婚、不倫相手の義父とは死別し
ひとり晩秋の支忽湖温泉へ向かうというなんともスキャンダラスな内容です。
支笏湖のなんともさびれた情景は、愛憎に疲れ果てた主人公の心情と重なり
何とも言えない不安感を増幅させます。


支笏洞爺国立公園内、支笏湖の東岸に支笏湖温泉が、
北西側に丸駒温泉、伊藤温泉が点在しています。
支笏湖温泉は遊覧船の発着場所に位置していますので、
飲食店やみやげ物屋なども多く温泉街を形成しています。

ぜひ味わって頂きたいのが、阿寒湖から支笏湖に移植されたヒメマス
を使った料理です。当地の名物料理ですので是非味わってみて下さい。

面積は琵琶湖の1/9に過ぎないのですが、水深があるため、
貯水量はなんと琵琶湖の3/4にも達するんだそうです。
温かい水が深部に残存し水面を暖めているため、
湖面の水温が下がりにくく、基本的に結氷しないんだそうです。

幻想的な支笏湖温泉。ヒメマスを肴に一杯なんてのもいいかも知れません。

新田次郎の愛した噴火が生んだ洞爺湖温泉


新田次郎の愛した噴火が生んだ洞爺湖温泉

山岳小説で知られる直木賞作家の新田次郎の作品に
昭和新山という作品があります。
洞爺湖湖畔にある有珠山の寄生火山として活動を始めた
昭和新山の観察と保護に半生をかけた三松正夫を主人公とした作品です。

周囲46キロにも及ぶ円形カルデラ湖である洞爺湖は、
複数の寄生火山に囲まれています。
その中のひとつ昭和新山を科学報告書のような形で
この作品には描かれています。



当地は昭和30年から観光対象となりましたが
ほどなく観光ブームが訪れ、その人気は一気に全国区となりました。
北海道三大景観の一つに数えられる「洞爺湖」は国立公園にも指定されており、
明治43年(1910)、有珠山の寄生火山である四十三山(よそみやま)
の噴火活動によって温泉が湧き出し、
大正6年(1917)、温泉地として開業しました。
2010年は開湯100年に当たります。
蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山を望む風景や、火山などの自然、
体験施設なども満喫でき、年間3百万人もの観光客が訪れる
人気の温泉地として発展しています。
すべすべした肌ざわりで胃腸病や慢性筋肉リウマチにも効用があるそうです。

ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

静かな山間の温泉地白骨温泉は古き良き日本のふるさと


静かな山間の温泉地白骨温泉は古き良き日本のふるさと

長野県松本市にある白骨温泉は、飛騨山脈(北アルプス)の、
乗鞍岳、十石岳、霞沢岳の麓に位置する山峡の温泉地です。
乳白色の湯として全国的に知られ、近年では多くの旅行雑誌などに
取り上げられているほど有名な温泉地です。



「3日入れば3年は風邪をひかない」と言われています。
此処には手つかずの自然がたくさん残っており、秘湯の雰囲気漂う
奥深い山峡の風情を堪能する事が出来ます。
当地は国立公園に指定されており、四季折々の自然が楽しめます。

何もないのが究極の温泉の癒し。
そう思えるのがこの温泉です。
ゆったりと時は流れ、広大な露天風呂で開放感を味わい、
ふと散歩をすると山間からの湧き水に舌鼓。
この地を愛した文豪たちの碑を訪れながら、横目に竜神の滝を眺める。

手打ちの蕎麦を頂きながら穂高地ビールで喉を潤し
そしてまた白濁の湯につかる。

日常の喧騒を忘れさせてくれる、誰しもがなつかしむ故郷を堪能したいなら
ぜひ訪れてみて下さい。

2012年6月1日金曜日

中里介山が名付けたといっても過言ではない長野の秘湯白骨温泉


中里介山が名付けたといっても過言ではない長野の秘湯白骨温泉

「やがて白骨の温泉場に着いて、顧みて小梨平をながめたときは
お雪もその明媚な風景によって、さきほどの恐怖が消えてしまいました。
殊に、龍之助はここへ着くと、まず第一に、『これから充分眠れる』
という感じで安心しました。」
中里介山「大菩薩峠」より



中里介山の未完の長編小説「大菩薩峠」は、盲目の剣士龍之助を取り巻く
流転の生活を、明治維新を迎える激動の時代を背景に描いた稀代の名作です。
物語で龍之助は白骨温泉に滞在し、保養に励みます。
江戸時代には白船と呼ばれていたこの温泉地は、介山が白骨とよんでからは
白骨の名が一躍有名になりました。

彼はキリスト教や社会主義に接近し、幸徳秋水や堺利彦、内村鑑三、
山口孤剣らの社会主義者と親交を結び、「平民新聞」へ寄稿する一面もありました。

代表作である「大菩薩峠」は彼の代表作ですが、彼の後半生は
この執筆に飲み込まれたといっても過言ではないほど壮絶なものだったそうです。

深い山々に囲まれた白骨温泉でゆったりとした時のなか、
この長編小説に読みふけるのもいいかもせれません。

皇族をはじめ多くの文人墨客に愛された避暑地赤倉温泉


皇族をはじめ多くの文人墨客に愛された避暑地赤倉温泉

新潟県の妙高山にある赤倉温泉は標高800mにあり、
避暑地や高級別荘地として有名です。
妙高温泉6湯の中で最大の規模を誇ります。
日本百名山のひとつ妙高山を正面に、右に神奈山、左に赤倉山を据えた
雄大な景色を堪能できるのもこの温泉の魅力のひとつです。


様々な文豪に愛された赤倉温泉は、明治から大正にかけて
尾崎紅葉や岡倉天心、与謝野晶子や有島武郎などが訪れています。
また、皇族の別荘もあり、避暑地としても有名となりました。

高原温泉ならではの楽しみは夜訪れます。それは満天の星空。
都会のはない空の広さを体中で感じてみて下さい。
そしてもう一つ、時として高原濃霧に襲われる事がありますが、
これはこれで幻想的な霧に包まれた温泉街の風情を楽しめます。
悪天候と嘆かず、それもまた風情と思い楽しんでみて下さい。

近隣には日本滝百選のひとつ苗名滝をはじめ、上杉謙信の居城跡や
日本スキー発祥記念館など、見どころもたくさんあるので
時間を持て余すことなく楽しむ事が出来ます。

医学者であり詩人であり戯曲家でもある木下杢太郎が愛した赤倉温泉


医学者であり詩人であり戯曲家でもある木下杢太郎が愛した赤倉温泉

「道の真中の 色硝子をはめた大きな湯殿に 山から戻ったららしい
女達がはひつて行きます。 あれも生活ね。 それならお前さん達も
ゆっくり湯にはひつて、今夜はお休み。
そしてあの山を越えて、まだ見ない都会へ出る夢でもお見」
木下杢太郎「浴泉歌」より



木下杢太郎は医学者であり、かつ詩人であり
戯曲家と多彩な才能の持ち主でした。
生地が伊東温泉だったこともあり、
しばしば温泉地に足を運んでいたそうですが
中でも赤倉温泉をこよなく愛し「赤倉温泉にて」や
「高原の寂しき温泉場の薄暮」などの詩を残しています。

キリシタン研究でも名高い杢太郎は、天草四郎の事跡を追い
しばしば九州へ赴くなど好奇心旺盛でありながら、
医学者としてと東京帝国大学教授に就任するなど
華麗な生涯だったようです。

弘法大師や武田信玄等多くの伝説が残る湯村温泉


弘法大師や武田信玄等多くの伝説が残る湯村温泉

山梨県を代表する由緒ある温泉地である湯村温泉は、
古くは志麻の湯と呼ばれていたそうです。
弘法大師が杖で大きな石を転がしたところがら湯が出たとされる「杖の湯」や
ワシが傷を治したといわれる「鷲の湯」などの伝説が今でも伝わっており
武田信玄の隠し湯のひとつとしても知られています。


湯村温泉は昭和の初めに大きな温泉街として飛躍的に発展しました。
太宰治をはじめ多くの文人や画家に親しまれてきましたが
常盤ホテルは井伏鱒二や松本清張らが投宿したことで知られています。

八九除け十湯めぐりというサービスをご存知ですか。
宿で湯めぐり手形をもらい、加盟10店を巡るもので、10湯巡ると
厄除け満願成就するというものです。
厄除け目当ての温泉客が多い所以のひとつとなっているそうです。

周辺観光では、少し足を延ばせば武田信玄が信州善光寺から本尊を移したとされる
甲斐善光寺があります。ぜひ足を運んでみて下さい。
近隣には宝石博物館や影絵の森美術館など、自然や芸術をゆったりとした時間の中
観賞できるのもこの町の魅力ではないでしょうか。

お土産にはやっぱり信玄餅。
武田信玄が出陣の際に非常兵糧とした切り餅ですが、
黒蜜をかけて召し上がると大変美味です。

お出かけの際は、日本一の渓谷昇仙峡を訪れるのもお忘れなく。

太宰治が妻を愛したからこそ湯村温泉で過ごした新婚生活


太宰治が妻を愛したからこそ湯村温泉で過ごした新婚生活

「家内は、からだぢゆうのアセモに悩まされていた。甲府市のすぐ近くに
湯村といふ温泉部落があって、そこのお湯が皮膚病に特効を有する由を
聞いたので、家内を毎日、湯村へ通はせることにした。」
太宰治「美少女」より



太宰は井伏鱒二の媒酌で美知子と結婚し、
新婚生活をしばらく甲府市で過ごしました。
空襲で焼けおち今は太宰治僑居跡としての石碑が残るのみとなっていますが、
この新居の近くにあったのが湯村温泉です。
夫人のアセモ治療に通うのに乗じ、太宰も湯村温泉に通うようになりました。
その時の経験を赤裸々に書き記したのが「美少女」なのです。

太宰は東京に転居したあとも、何度か湯村を訪れ、
執筆の場としていたそうです。

太宰と温泉は深い関わりを持っています。
新婚生活を送った湯村温泉はもちろんですが、
自殺未遂の場となったのもまた温泉。
また、多くの作品に様々な温泉地を舞台とするのも特徴です。

太宰の作品を読むさいは、舞台背景を思い浮かべながら
読み進めてみて下さい。

古くから多くの文豪俳人に愛された湯田中渋温泉郷


古くから多くの文豪俳人に愛された湯田中渋温泉郷

湯田中渋温泉郷に今も残る小林一茶直筆の「田中河原の記」には
地面から湯がこんこんと湧き出る当時の様子が記されており
「湯田中」という温泉地の名前の由来となったともいわれています。

長野県下高井郡にある湯田中渋温泉郷は古くは小林一茶・葛飾北斎、
近代になってからも夏目漱石・与謝野晶子・川端康成・志賀直哉など
誰もが知っている文豪たちに愛された歴史ある温泉地です。


この温泉郷は志賀高原の大自然に恵まれていますが、なかでも渋温泉は
浴衣と下駄が似合う石畳の温泉地として高名です。
奈良時代に高僧行基により発見されたといわれ、渋温泉には武田信玄が
兵士の傷を癒したといわれる「信玄かま風呂」が温泉寺にあります。

この温泉でのお勧めは外湯めぐり。
村人の手で古くから守られてきた9つの共同湯をめぐるのですが、
薬師如来の温泉鎮護にあやかって苦労(九湯)を
洗い流す事が出来るのだそうです。
宿で購入できる巡浴祈願手拭いに各湯のスタンプを押し、
最後に高薬師さんに参拝すれば満願成就となるそうです。

湯田中渋温泉郷に訪れた際は苦労を洗い流し、一句詠んでみて下さい。

湯田中温泉で一茶の名を世に知らしめた自由律俳人萩原井泉水


湯田中温泉で一茶の名を世に知らしめた自由律俳人萩原井泉水

「私は信州湯田中なる湯本五郎治氏方で蔵書をいろいろ見せて貰った時
『増補奇人俳士年表』(文政2年)といふ折本の表紙題箋の側に
一茶という小さな印が捺してあるのが、不図目につき、
展げて見ると、一茶が所持していたもので・・・」
萩原井泉水「一茶の業績」より



萩原井泉水は大正6年に逗留した湯田中温泉で、
小林一茶の草稿や俳画を見て、その素晴らしさに開眼し、
一茶研究に打ち込んだそうです。
いまでこそ一茶は、松尾芭蕉や与謝蕪村などと並んで、
知らない人がいないほど知名度の高い俳人ですが、
萩原井泉水が湯田中温泉で見出すまでは、正岡子規など
ごく一部の具眼の士が認めていただけの無名の存在だったんだそうです。
その才能を見出し「芭蕉と一茶」や「一茶随想」などの執筆により
世に一茶の名を広めたのが萩原井泉水でした。



彼は中学の頃から俳句を作りはじめ、
1911年に俳句機関紙「層雲」を主宰します。
翌年には俳句といえば季語という枠を超え無季自由律俳句を提唱しました。
層雲同人のひとりに、同じく湯田中温泉を愛した種田山頭火がいました。

多くの俳人に愛され、様々な形で句中に登場する湯田中温泉。
ぜひ一度訪れ、一句詠んでみて下さい。

万葉集にも詠まれた由緒ある名湯「湯河原温泉」


万葉集にも詠まれた由緒ある名湯「湯河原温泉」

神奈川県西南端に位置する湯河原は、
古くは万葉集にも詠まれた由緒ある名湯です。
相模湾に至る千歳川と、藤木川の渓流に沿って細長い温泉地が特徴です。
温泉街の中心に架かる万葉橋付近にはお土産物屋さんが軒を連ね
温泉地ムードを引き立てています。


湯河原温泉は古くから懐妊の湯として知られています。
時代によりその名は変わりますが、明治以降数多くの皇族や文人たちが訪れ
その評判は全国区となりました。

夏目漱石や島崎藤村など、文人ゆかりの伝統ある宿が多々ありますが
近年万葉公園につくられた「独歩の湯」はその名の通り国木田独歩に
ちなんで作られた足湯なんだそうです。

初春には4000本の梅の花、初夏にはほたるの宴など温泉以外にも
四季折々楽しむことが出来ます。

お土産にはかるかん饅頭。
山芋をたっぷり使用したしっとりまろやかな味わいは老若男女に親しまれています。
初冬には海を眺めながらのみかん狩りもできるそうですよ。