2012年6月1日金曜日

医学者であり詩人であり戯曲家でもある木下杢太郎が愛した赤倉温泉


医学者であり詩人であり戯曲家でもある木下杢太郎が愛した赤倉温泉

「道の真中の 色硝子をはめた大きな湯殿に 山から戻ったららしい
女達がはひつて行きます。 あれも生活ね。 それならお前さん達も
ゆっくり湯にはひつて、今夜はお休み。
そしてあの山を越えて、まだ見ない都会へ出る夢でもお見」
木下杢太郎「浴泉歌」より



木下杢太郎は医学者であり、かつ詩人であり
戯曲家と多彩な才能の持ち主でした。
生地が伊東温泉だったこともあり、
しばしば温泉地に足を運んでいたそうですが
中でも赤倉温泉をこよなく愛し「赤倉温泉にて」や
「高原の寂しき温泉場の薄暮」などの詩を残しています。

キリシタン研究でも名高い杢太郎は、天草四郎の事跡を追い
しばしば九州へ赴くなど好奇心旺盛でありながら、
医学者としてと東京帝国大学教授に就任するなど
華麗な生涯だったようです。

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