2012年6月1日金曜日

湯田中温泉で一茶の名を世に知らしめた自由律俳人萩原井泉水


湯田中温泉で一茶の名を世に知らしめた自由律俳人萩原井泉水

「私は信州湯田中なる湯本五郎治氏方で蔵書をいろいろ見せて貰った時
『増補奇人俳士年表』(文政2年)といふ折本の表紙題箋の側に
一茶という小さな印が捺してあるのが、不図目につき、
展げて見ると、一茶が所持していたもので・・・」
萩原井泉水「一茶の業績」より



萩原井泉水は大正6年に逗留した湯田中温泉で、
小林一茶の草稿や俳画を見て、その素晴らしさに開眼し、
一茶研究に打ち込んだそうです。
いまでこそ一茶は、松尾芭蕉や与謝蕪村などと並んで、
知らない人がいないほど知名度の高い俳人ですが、
萩原井泉水が湯田中温泉で見出すまでは、正岡子規など
ごく一部の具眼の士が認めていただけの無名の存在だったんだそうです。
その才能を見出し「芭蕉と一茶」や「一茶随想」などの執筆により
世に一茶の名を広めたのが萩原井泉水でした。



彼は中学の頃から俳句を作りはじめ、
1911年に俳句機関紙「層雲」を主宰します。
翌年には俳句といえば季語という枠を超え無季自由律俳句を提唱しました。
層雲同人のひとりに、同じく湯田中温泉を愛した種田山頭火がいました。

多くの俳人に愛され、様々な形で句中に登場する湯田中温泉。
ぜひ一度訪れ、一句詠んでみて下さい。

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